母親と合わない娘が40代になって今、母に伝えたいこと。

母親と合わない・・・幼い頃から感じていた母への思い。

これは反抗期からくるものか、それとも母との相性なのか・・・

答えを求めるかのように夜の街へ出歩くようになった幼い私でしたが、40代の大人になって今、母親に伝えたい事を書きます。

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母と私の関係

私には両親と3つ違いの弟が居り、父方の祖父母と住んでいました。

私の育った環境は、いわゆる古風な考えの家。

  • 家の中で一番偉いのは祖父
  • 次に祖母か父
  • そして長男である弟

 

つまり、母と私がカーストの最下位な訳です。

そんな有無を言わさぬ序列の中、母と私は家族から同等の扱いを受けていたのですが、どうやら母自身は自分を最下位に思っているようでした。

そして母は祖父母から受けたストレスと、自身のポジションへの劣等感のはけ口を私に向けるようになりました。

さらに私を戸惑わせたのは、本来平等である母の愛が、弟である長男に向けられていたことです・・・

家族全員から溺愛されている可愛い弟の隣にいる私は、常に愛情不足とみじめな気持ちを感じていました・・・

反抗期は無かったって?笑わせるな!

そんな状況だったのに、母は今だに親戚や職場の前では私達のことを自慢げに話します。

「私の子供2人は反抗期なんてない良い子だった」

 

見栄と建前、さらに脳が過去を詐称しているのかも知れません。

現実はこうです▽

反抗期は無かったのではなく、あなたが反抗を許さなかったんですよね!?

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母が私にしたこと

私は文系脳の感情論タイプで、母は理系脳の理性論タイプ。

そもそも全く違う思考の2人だったので、意見が対立するとゴールのない不毛なやり取りが繰り広げられます。

そうなると母は決まって親の権限を最大限に駆使した嫌がらせをしてきます。

嫌がらせの一例

  • 駅まで送らいない。(かなり遠いです)
  • 携帯は理不尽に没収。
  • そして暴力。

正しい正しくない、また理解和解などを考えることはなく、母はすぐにそんな手段を取ってきます。

しかし私も思春期を迎え、いよいよ我慢ができなくなり母に向かって自分の気持をぶつけた事もあります。

「こんな風に扱われるなら生まれたくなかった!死にたい。

 

しかし母から返された言葉は最も冷酷なセリフでした。

「だったら死ねば?」

母が立ち去った後、私は泣き崩れました・・・

この日の出来事により、母への拒絶心はさらに増すことになります。

母と娘の関係~今でも許せない母の言葉。私が母にならない理由。

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怒りは家族全員に向く。

この頃には私の怒りは家族全員に向けられるようになりました。

  • 弟には怒らないことを私には怒る祖父母と母。
  • 無関心で助けてくれない父。
  • 自分は巻き込まれまいと遠巻きに見る弟。

ただでさえ都合が悪くなると皆して私を悪者にするのに、心からの声すら無視される・・・これ以上人権を害される事に耐えられない。

そういう経緯で私は表立った反抗をやめ、気持ちを伝えることすら諦めたのです。

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私を助けた外の世界

私の反抗期は表立った反抗ではなかったものの、見えない所で自由を手に入れるという形で実行されました。

中学の頃、通っていた塾の先輩の紹介で路上ライブを見たのがキッカケです。

そこで出会った人達は私を変えてくれました。

融通がきかず家でつらい思いをして過ごす私を哀れみ共感してくれました。

 

両親よりも祖父母よりも、ずっと私の気持ちを理解しようとしてくれました。

 

間違っている時は私が理解出来るよう説明しながら叱ってくれました。

 

とにかくそれが嬉しかった・・・

路上ライブとなると時間も遅いし、我が家の様な門限の厳しい家では絶対に見に行くことはできません。

でも仲良くなった人の中には社会人もいて車やバイクで連れていってくれました。

日をまたぐ程の遅い時間帯に裏口から家を抜け出し、その人達の車やバイクで路上ライブを見に行くことを繰り返すようになり、今思えばこれが間違いなく私の密かな反抗期です。

 

家を抜け出すような事をさせる大人が正しいかと言われれば、当然違うでしょう。

その先で何かの事件に巻き込まれる可能性だってあります。

ですが正しい正しくない、理解和解を理不尽に切り捨てられた環境で育った私にとって、そんな事は粗末な事でした。

 

人間として扱われる事、1人の女の子として扱われる事、それは何よりも嬉しく、私が個人としての考えを持ち、生きているのだと感じさせてくれました。

そうして、思ったのです。

身内・他人、大人・子供など関係なく、理不尽を理不尽とも思わない酷い人間が居て、逆に優しく手を差し伸べてくれる人間も居るのだと。

そこに血縁も年齢も関係ない。

そう理解したとき、ようやく私の気持ちが救われた気がしたのです。

 

そして、そんな大人を見てきたからこそ、和解力のある厳しく優しい人間になりたいと思えるようになったのです。

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母との和解

母は私が大学生になってすぐ、父と離婚しました。当然、私達姉弟も祖父母と居たいとは思わず、母と3人家を出ました。

 

祖父母から離れた事で母の精神面も安定し、徐々に家族としての溝が埋まっていきました。

そうして暫く経ってから、母は私に謝ってきたのです。

 

「あの頃は申し訳なかった」

 

謝られたとしても過去やトラウマがなくなる訳ではありません。

ですが、母も私と同様、人間として扱われず苦しみ理不尽に押しつぶされていたのだろうと思えました。

母も同じだったんだ・・・あの時、もっとお互いに寄り添えて居れば、あの家もずっと楽だったのかもしれない・・・今はそう思えます。

私は深夜に家を出ていくような娘でしたが、問題を起こす事も事件に巻き込まれる事もありませんでした。

家庭環境を思えば、ニュースで取り上げられているような家族問題や事件などが起きてもおかしくなかったと思います。

踏み外す事なく踏み止まれたのは、間違いなく出会った人達が寄り添ってくれていたからでした。

もし当時の気持ちを母に伝えるのであれば、

どうか、子供だからと全てを否定しないで欲しい。

理不尽な力で決着させずに、意見がぶつかっても100%納得が出来なくても、お互いを見て、落とし所を見付けて和解していけるような…

大人という壁でもあり、親という頼れる場で在って欲しかったと、いつか伝える機会があれば良いなと思います。

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