母親と合わない娘が40代になって今、母に伝えたいこと。

母親と合わない・・・幼い頃から感じていた母への思い。

これは反抗期からくるものか、それとも母との相性なのか・・・

答えを求めるかのように夜の街へ出歩くようになった幼い私でしたが、40代の大人になって今、母親に伝えたい事を書きます。

⇒母と娘の関係~今でも許せない母の言葉。私が母にならない理由。

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母と私の関係

私には両親と3つ違いの弟が居り、父方の祖父母と住んでいました。

私の育った環境は、いわゆる古風な考えの家でした。

家の中では、まず祖父が1番偉く、

次に祖母か父、

そして長男である弟。

そんな有無を言わさぬ序列がありました。母と私は似たような扱いでしたが、母は自分を一番下に思っているようでした。

ですが、母も長男贔屓びいきな所があり、祖父母へのストレスの八つ当たりを長女の私に行うのは自然な流れとなりました。

体の小さい子供で、好きに扱うには可愛い弟より女の私の方が都合が良かったのでしょう。

母はよく、今でも親戚や職場の人達に自慢げに話します。

 

「私の子供2人は反抗期なんてない良い子だった」

 

勿論、見栄や建前でそう言っている部分もあるとは思います。

ですが事実、反抗期らしい反抗期はなかったかもしれません・・・

反抗期はないが、母を好きな訳でもない・・・

笑いながら話す母に今更食ってかかる気はありませんが、反抗期など許される訳がなかっただけ…

というのが正しい環境です。

 

私は文系脳の感情論タイプで、母は理系脳の理性論タイプでした。

意見の対立となると全く噛み合わなくなり、そうなると親の権限を最大限駆使します。

駅まで送らない

携帯電話を没収

正しい正しくない、また理解和解など関係なく、力任せに言う事を聞かせる・・・

 

母はそんな手段を取るのです。

 

いよいよ我慢ができなくなり、母に向かって自分の気持をぶつけた事もあります。

「こんな風に扱われるなら産まれたくなかった。死にたい。

 

しかし母から返された言葉は最も冷酷なセリフでした。

「だったら死ねば?」

 

母が立ち去った後、私は泣き崩れたのを覚えています。

私の考えや気持ちなど関係ないのです。

自分が正しく、従わないのであれば嫌がる事をすると脅し、私のSOSなど聞く耳を持ちませんでした。

この日の出来事により、母に対する拒絶心はより増すことになります。

 

◆弟には怒らない事を私には怒る祖父母や母。

◆無関心で助けてくれない父。

◆自分は巻き込まれまいと遠巻きに見る弟。

ただでさえ都合が悪くなると皆して私を悪者にするのに、これ以上人権を害される事に耐えられない。

そういう経緯で、私は表立った反抗も気持ちを言う事も諦めたのです。

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私を助けた外の世界

私の反抗期は表立った反抗ではなく、見えない所で自由を手に入れるものでした。

 

中学の頃、通っていた塾の先輩に路上ライブをしている人が居ました。

路上ライブとなると遅い時間帯で、普通であれば聞きに行く事は出来ません。

しかし、その繋がりで仲良くなった人達が既に社会人で、車やバイクを持っているような人達だった事。

社会人で稼ぎもあり、融通の効かない苦しい家で過ごす私を哀れんでくれた事。

私は日をまたぐ程の遅い時間帯、裏口から家を抜け出し、その人達の車やバイクに乗せられて路上ライブを見に行ったり遊びに行くようになりました。

狭い世界で、幼い私にとっての大人の印象は家族が大きく、大人は私の気持ちなど聞いてくれない事が当然の世界でした。

それがどうでしょう。

飛び出した世界で出会う、両親よりも祖父母よりも年齢的には低いはずの大人達は、

家族よりもずっと優しく、私の気持ちを理解しようとしてくれ、間違っている事は私が理解出来るよう説明しながら叱ってくれました。

家を抜け出すような事をさせる大人が正しいかと言われれば、当然違うでしょう。

その先で何かの事件に巻き込まれる可能性だってあります。

 

ですが、正しい正しくない・理解和解を理不尽に切り捨てられた環境で育った私にとって、そんな事は粗末な事でした。

人間として扱われる事、1人の女の子として扱われる事、それが何よりも嬉しく、私が個人としての考えを持ち、生きているのだと感じさせてくれました。

そうして、思ったのです。

身内・他人、大人・子供など関係なく、理不尽を理不尽とも思わない酷い人間が居て、逆に優しく手を差し伸べてくれる人間も居るのだと。そこに血縁も年齢も関係ない。

と理解したとき、ようやく私の気持ちが救われた気がしたのです。

そして、そんな大人を見てきたからこそ、和解力のある厳しく優しい人間になりたいと思えるようになったのです。

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母との和解

母は私が大学生になってすぐ、父と離婚しました。

当然私達姉弟も祖父母と居たいとは思わず、母と3人家を出ました。

そうして、祖父母から離れた事で母の精神面も安定し、徐々に家族としての溝が埋まっていきました。

そうして暫く経ってから、「あの頃は申し訳なかった」と、思うところがあったのか、母は私に謝ってきたのです。

謝られたとしても過去やトラウマがなくなる訳ではありません。

ですが、母も私と同様、人間として扱われず苦しんでいた事。

理不尽に押し潰されていた事。

母も同じだったのだろうと思うと、お互いに自分の気持ちだけでなく寄り添えて居れば、あの家でももっとずっと楽だったのかもしれないと、今になってそう思います。

私は深夜に家を出ていくような娘でしたが、問題を起こす事も事件に巻き込まれる事もありませんでした。

家庭環境を思えば、ニュースで取り上げられているような家族問題や事件などが起きてもおかしくなかったと思います。

踏み外す事なく踏み止まれたのは、間違いなく出会った人達が寄り添ってくれていたからでした。

 

もし当時の気持ちを母に伝えるのであれば、

どうか、子供だからと全てを否定しないで欲しい。

 

理不尽な力で決着させずに、意見がぶつかっても100%納得が出来なくても、お互いを見て、落とし所を見付けて和解していけるような…

大人という壁でもあり、親という頼れる場で在って欲しかったと、いつか伝える機会があれば良いなと思います。

⇒母と娘の関係~今でも許せない母の言葉。私が母にならない理由。

最後までお読みいただき有難うございます。

反抗期の子供の気持ちとは?壮絶体験談まとめ

最後まで有難うございました。

~私を救った【cotree】について~

管理人のHukuです。

激しい反抗期に、心身ともにボロボロになっていた私を救ってくれたのは「気持ちが落ち着くまで、話を聞いてくれる人の存在でした。

▪ 友人にはかっこ悪くて言えない。

▪ 夫は私に否定的なことを言うから相談したくない。

そんな思いから、ついつい一人で悩みを抱えていました。

 

このままでは私の心が壊れてしまう・・・

 

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最後まで有難うございました。

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